他人への恐怖心
人への恐怖はどうやって作られたんだ。
なぜ、他人は怖いと信じるようになったんだ。
自分を主張したら
だれかが悪口を言うだろう。
失敗したら
誰かが笑っているだろう。
多分これは真実だと思う。
だけど、
主張に賛成してくれる人、
挑戦をたたえてくれる人も
きっと同じくらいいるのも確かだよな。
片方の側面だけみて片方だけ信じるのも偏っている気がする。
自分らしさで生きたときにきっと自分のことを嫌いになる人はいるだろう。
だけど、少ないかもしれないけど、今までより自分のことを好きになってくれる人もきっといるはずなんだよな〜。
結局どちらを見るのかなのか。
どちらを見て、どちらを強く信じるのか。
自分を大事にしてくれる人を大事にする。
もうそれしかないのかな。
人に対する意識
僕は究極的に人に苦手意識を持っている。
とにかく人が怖い。
人と話すのが苦手だ。
どんな感じかというと、常に人の意識を感じているような感覚だ。
人の意識を感じているというのは、
自分の行動に対して、この人はこう思うだろうとかあの人だったらこう思うだろうとかいちいち自分の頭の中に浮かぶ人たちの考えを自分の妄想で作り上げる。
そしてそれは自分の頭で作り上げられているものなので、ほとんどがネガティブな妄想だ。
実際に言われてもいないのに、妄想でそう感じる。
そしてイメージして、過去の経験から感情が怖さを受け取ってしまう。
そうなると、そのイメージがさらに潜在意識に刷り込まれて恐怖を増幅させてしまう。
考えれば考えるほどにこの恐怖は強化されていく。
本当に厄介だ。
具体的に僕が苦手なシーンは、僕が人の前でスピーチをしている場面や複数の人から見られている場面で自分が何かの行動をしているときを想像したときだ。
それは頭の中でイメージをするだけで、本当に感情が反応してしまう。
そして、そのイメージを避けるように実際の行動をしてしまう。
人前で話すような場面に遭遇するとき、自分で自分に「大丈夫」と語りかけるみたいなことはやってはいるんだけど、実際には全然効果がない。
もちろんこれは身体の反応だから仕方がないことなんだと思う。
自分が信じていることで自分の心が作られているから、ずっと信じていることを心に刷り込んできたんだから、身体の反応を止められないのは当たり前だと思う。
自分が信じていることで心の中で自分に対して言い聞かせて来たんだから、そりゃ簡単にはその観念は変わらないと思う。
だから、自分の信じていることを変えるしかない。
たぶん、これをやらないと何をやってもうまくいかない気がしてる。
今の理想とこれからの現実は自分の思考で作られているけど、自分が心の底から自分の理想をイメージして、信じていないとそれは実現しない。
そして、今感じている恐怖や不安もすべては信じているものから作られている。
自分が信じているものを明確にしよう。
表面上ではなく、潜在意識では何を信じているんだろう。
お金について
僕がお金について考えていること。
それは、減るのが怖いと思っている。
お金のことはとても好きだ。
周りの人と比べると異常なレベルで好きだと思う。
増えるのを見るのがたまらない快感がある。
自分の資産が増えていくと考えるだけでワクワクしてしまう。
今は実際に毎年増えている。
なんか知らないけど、今無職だけど資産は増えている。
まあ正確には投資(株や仮想通貨)をしているからなんだけど。
お金の勉強をめちゃくちゃして、増える場所にお金を預けているからこそ増えている。
でもお金を使うことには恐怖心がある。
お金が減るのがかなりのストレスになる。
奥さんと一緒に出かけても、自分の許容範囲の出費があると本当に気分が下がってしまう。
減った、無くなっていくという感覚になる。
実際には資産額はまだまだあるのに、少しでも減っていくことを想像するだけで、苦しくなってしまう。
奥さんはお金を使う人だ。
普通がなんなのかわからないけど、必要な分だけ使い、特に人のためにお金を出す人だ(プレゼントやお返しなど)
でも僕からすると、必要ない部分にまでお金を使っているという認識になる。
だから、なんで無駄遣いするんだ!とかこんなにお金を使わないで!
って心の中で思っている。
そして、ガッツリテンションを下げて、それをアピールする。
言葉で言うのが嫌だから、アピールするという作戦。
そして、たいてい奥さんも機嫌が悪くなる。
僕は奥さんのためにもお金が使えない。
使えるものは旅や食事など自分にとってワクワクする経験に対してお金は出すことができる。
自分の欲を満たすためにしかお金が使えないのである。
それ以外がもったいない、お金が減っちゃうっていう思考が働く。
現に今は収入がない。
投資の配当など以外に収入はない。
投資は複利で増やしていくと決めている。だから配当を使うつもりはない。
そう考えると収入は0だ。
だからこそ、使ったらその分減る。という感覚は当たり前の感覚だ。
だから、恐怖心も当たり前である。
あとは投資である程度の配当を得られれば、人生楽になるなとも思っている。
毎月20万くらい投資で収入があれば結構安心して生活ができると思っている。
だからそこを目指している。
それも、本当に勉強して、コツコツとやっていけば、達成できるのかなと本気で思っている。
そうなったら、思考としては結構楽になる。
だって毎月に必要な額が40万だとしたら、あと20万稼ぐだけで生きていける。
20万稼げる仕事なんて世の中にはいくらでもあるもん。
給料はある程度、日本の物価など生きられる水準で決められている。
だから僕の場合だと仮に子供が生まれた場合普通に暮らしていくには40万くらいは最低限必要だと思っている。
日本の水準的にも関東で暮らしていくにはそのくらいの水準だろう。
40万のうち20万が配当で自分が働かずに入ってくるのであれば、あとは20万稼ぐ方法を考えるだけだ。
そしたら気持ち的にはかなり自由になる。
20万なら僕の今まで積み重ねてきたスキルを活かせばいつでも稼げる金額だと思う。
そう思うだけで、人生攻めて行ける。
だからお金は僕にとって大事だ。
今お金をむやみに減らす状況はこの目標を崩すことになる。
だから目標達成にむけて、どうしてもこだわらざる負えない状況だ。
でも人に対してお金を使うことは大事。
感謝の対価としてお金やものを出すことは必要だと思う。
だから、バランスはとるようにしよう。
収入の範囲内で確実に生活をする。
これだけは崩さない。
信じていることが現実を作る
自分が信じていること。
世界をどう思っている?
僕は世界を怖いと思って生きてきたし、今も恐怖心が強い。
戦争とか自分の身の回りに起きていないことはイメージができないからわからない。
ただ、自分の周りにいる人への恐怖は拭うことができていない。
それは自分の今までの環境で起きた体験により少しづつ培われたものである。
具体的に言うと、人は自分の悪口を言っている、どうせ馬鹿にされている、自分を主張すると嫌われる。
とかそんなことを心に言い聞かせて生きてきた。
だからも染み付いている。
癖になっている。
習慣により、心は反応する。
だから、心は人に対して恐怖を感じている。
そうなると、失敗すると嫌われる、笑われる、バカにされるという思考になっているから「挑戦をしない」という現実になる。
そのままでいれば、失敗することも、笑われることも、バカにされることもないから。
心は安心を求めているから、失敗しない現実を求める。
失敗しない現実だと、当たり障りのない言葉を選び、ひと目を気にして、嫌われないかどうかという基準で行動することになる。
こんな状態を何年も続けてきた。
当然心は矛盾を感じていた。
何をやるにも自分の意思とは違うことをやることになるし、常に嫌われることを恐れてビクビクしている状態だから。
こんな状態では当然なにをやってもうまくいくはずがない。
表面上で、夢ややりたいことを語ってみるけど、結局、行動が人に嫌われないことが基準になっているから、夢ややりたいことに対しても行動ができないんだよね。
やろうと思っても、怖いからできない。
こんな状態が、ずーーーーと続いてるんだ。
この根本の「世界は怖い」と信じていることに向き合わなければ、いくら表面上で頑張ってもうまくいかないんだよな。
結局。
だから自分の内面に「本気」で向き合うこととする。
実は今までも自分なりには何年も向き合ってきた。
正確には5年くらい。
前付き合っていた彼女に振られてから、人生なにかがおかしいと思い、そこから自分の心を観察するようになった。
そしてあらゆる本をよんで勉強してきた。つもり。
でもきっと本当の意味では理解ができていないんだ。
だからこそ自分の文章で言葉で、自分の思考に刷り込んでいきたいと思う。
文章がかけないということは理解ができていないということだから。
毎日自分の内面と向き合います。
少しづつでいい。
コツコツと自分を変えていこう。
失敗への恐怖
僕は他人を意識するあまり、自分を強くみせようとしていた。
自分の弱さを隠そうとするあまり、人前に出ることが怖くなっていった。
人前で失敗したらどうしよう。
人前にでて笑われたらどうしよう。
声でも震えて弱い自分がバレたらどうしよう。
そんなことに本当に怯えながら生活をしていた。
絶対に失敗できないという思考からは恐怖心が生まれ、失敗を避けるように人と関わりながら人前に立って何かをやろうということを避けるようになった。
人前でなにかをするということすら怖くなっていた。
だから極力目立たないように、ひと目につかないように生きたいと望んでいた。
いつしか、恐怖のあまり心が落ち着く薬まで飲むようになっていた。
人前で緊張しそうな場面では薬の力を借りてなんとか乗り切っていた。
弱さがみんなにバレるよりはマシだったから。
そして、お酒にも頼った。
人に会うのもあまり得意ではなかったから、緊張しそうな相手と会う前にはお酒を飲んでから会うこともあった。
お酒はあまり身体に合っていないけど、心を大きくするために頼っていた。
僕のお酒はこころを大きくするためのお酒だった。
まあ、これは別に悪いことではないのかもしれないけど、エスカレートするとアルコール依存で身を滅ぼす。
そんなことで、僕は人前に出ることが極度のストレスになっていた。
なんでみんなができていることなのに自分にはできないんだろう。とか人前で喋れない自分はダメだと自分を責めた。
これじゃ今後なにをやってもダメだと思ったし、このままこの環境で仕事をしていても、周りと比べてしまう自分は変えることができないんじゃないかと思った。
正直、人生詰んだなと思っている部分もあった。
こんな状態だと失敗が怖いから積極性も奪われ、仕事が全く楽しくなくなっていた。
積極的にやりたいとも思えなくなっていた。
自分で選んだ仕事なはずなのに…
このまま続けていても地獄、辞める勇気もない。
こんな状態が数年間は続いていたと思う。
そこで一度、人生のレールを脱線してみることに決めた。
世の中の普通、自分の中で目指してきた普通というものを一度壊してみることにした。
少しでも自分らしく自分の人生が生きられるように。
かなり強引な方法だけど、これくらいしないと変わらないのかなと思っていた。
ずっとこのまま、本当の自分を殺し続けながら生きるのはもうやめようと思った。
少しでも自然のままでいびつな形である自分を大事に。
みんな違う。
ちがうところがいい。
違いを認めあえるようになったらいいな。
先延ばし思考を変える方法
僕は決断が苦手だ。
ついつい決めなければいけないことを先に伸ばしてしまう。
そうすると決まらずに中途半端になってしまい、結局時間が経ってしまい後々焦ることになってしまうことが多い。
決断すること=他の選択肢を捨てること
になる。
もし、自分がやりたいことをやると決めた場合、もうやらないという選択肢はなくなる。
言い訳ができなくなる。
自分の責任になる。
できなかったときに凹む。
こんなことが頭の中によぎってくる。
そして、決めることが怖くなって結局、まあ今決めなくてもいいかという選択肢に至る。
だから決められないという状態は、自分で責任を取りたくない、失敗したくないっていう心理が働いている。
そして結局は失敗できない理由にたどり着く。
失敗できない理由。
それは結局、周りを気にしているから、自分が判断しているから。
失敗している人を見てバカにしているから。
ああなりたくないとか人に優越をつけているから。
そして何より、自分のことを自分でバカにしているから。
自分の弱さを認めずに必死に隠そうとしているから。
ダメな部分を認めずに、世の中の普通と言われる常識を意識しているから。
自分といういびつな存在を世の中に合わせようとして、「普通」と呼ばれるものに当てはめようとしているから。
だから失敗ができないんだ。
それが失敗できない理由だし、決められない理由なんだと思う。
まとめると、世の中の常識や普通を意識しすぎている。
そして普通という物差しで、人を「判断」している。
人を自分より上の人間、下の人間で見ている。
そして、その普通に合わせようとして自分の弱さというものを隠しながら生きている。
だからこそ、挑戦ができないし、失敗ができない。
自分という存在を早く認めて、失敗ができる自分になろう。
そしたら、きっと決めることができるんじゃないかな。
弱み
僕は弱い人間だ。
そうやってずっと思って生きてきた。
だから弱い自分を変えようと必死になっていた。
周りからは落ち着いているとか言われることがあるけど、心の中はいつも不安でビクビクしていて自分の中は全く落ち着いていない。
いつからか弱い自分を変えるために強くならなくてはいけない、弱くてはいけないと思うようになっていた。
いつからこの意識が芽生えたのかというと、本当に人生の積み重ねで少しづつ芽生えてしまったんだと思う。
元々の気質みたいなものもあると思う。
外交的な正確ではなく間違いなく内向的な人間である。
人との関わりの中でストレスを感じやすいし、あまり多くの人と関わるのは得意ではない。
周りと自分を比べる中で少しずつできあがった価値観なんだと思う。
大学の受験のとき、プレッシャーが大きくて何故かその頃からいい大学にみんなに負けないようにって意識があって自分の中では本当に負けられないプレッシャーがあった。
それで頭悪かったけど勉強して、なんとか大学に入った。
でもこのとき結構不安定になって毎日が辛かったのを覚えている。
この頃から自分は人と比べて心が弱いんだと感じるようになった。
それから社会人になるときも大きなプレッシャーがあった。
公務員になるっていうことを決めたけど公務員になるには試験がある。
試験に合格しなきゃっているプレッシャーで押しつぶされそうだった。
このときも同じように毎日が辛くてしょうがなかった。
これは一例だけど、主に人生のターニングポイントで周りと自分を比べることで、プレシャーを自分で感じてしまい、自分弱いって意識が自分の中に定着したんだと思う。
弱い自分を変えたい、みんなと同じようにもっと強くなりたいっていうのが自分のねがいだった。
弱さを周りに悟られないように、弱みをできるだけ出さないように必死だった。
そのあたりから、自分は頑張らなきゃいけないっていう自分が作られたのかもしれない。
弱い自分を否定し続けて、強さを身に着けようとしてきた自分…
結果は当然強くはなれませんでした。
僕の心の中には弱い自分がいるのに、弱い自分の周りに強さと呼ばれそうな鎧みたいなものを着て、必死に自分の弱いを隠そうとしていた。
鎧が剥がれるんじゃないかといつもビクビクしていた。
だからこそ、いつも心の中には不快感があったし、なんか現実と自分の心の中との間に矛盾みたいなものがあった。
結局、弱い自分を否定して強くなろうとしても、強くはなれないという結論に至った。
だから、弱い自分で生きようと思っている。
弱い自分を認めつつ、弱い自分を少しでも労ってあげようかなと。
そうしないと、ずーっと現実とのギャップに苦しむと思うから。
弱い自分を出したら、笑われるとかバカにされるっていう怖さはずっともってる。
でもまあ、もしそんな人がいたらそんな人たちとは関わらなければいいだけだ。
自分の世界は自分で作る。
少しずつでもそうできるように、自分のままで生きていこう。