僕が公務員を辞めた理由

僕は大学卒業をしてから12年間、市役所の職員として働いていた。

 

いわゆる地方公務員というやつである。

 

まず僕がなぜ公務員になったかというところから書きたいと思う。

 

それは、親が公務員だったからである。

そして、僕の兄も公務員であったからである。

 

両親と兄弟、家族全員公務員の家庭で育った。

さらに言うと、僕の両親は公務員で福祉の仕事を専門にしていた。

福祉専門職という職種。

両親は公務員で同い年、同期入社して結婚している。

 

そんな両親に育てられ、僕は親の姿をずっと見てきた。

小さい頃からなんの不自由もなく結構幸せな家庭だったと思う。

お金にも困ったことがなければ、毎年旅行にも連れて行ってもらっていた。

親からすれば、仕事や生活で色々な苦しいことがあっただろうが、僕からすると本当に不自由なことがなく、安定した暮らしをさせてもらった。

そんな家庭を見てきて、僕は本当に親に感謝をしていたし尊敬していた。

 

父はかなり細かい性格で、曲がったことが嫌いで間違ったことは違うとはっきりと言える性格である。

母は本当に優しく、弱い人の心がとてもわかる人で、困ったときにはいつも親身になって話を聞いてくれる存在であった。

そして二人とも、何より家族を大切にしていた。

 

これは僕の主観であるが、絵に書いたような家族で僕は幸せだった。

だからこそ、こんな家族を作れるようになりたいと僕は思っていた。

 

だから自分がそのために一番イメージがしやすい親と同じ道を選ぶことにした。

大学4年の22歳のとき、決して流されて決めたわけではなく、自分の意思で決めた。

 

長くなってしまったがこれが僕が公務員になった理由である。

 

 

 

…そしてここからなぜ僕が公務員をやめようと思うようになったか。

 

結論から言うとそれは自分の心が苦しかったからだと思います。

何かやりたいことがあるからとか夢があるからとかではなく、息苦しさが続いていたからだと思います。

 

毎日仕事にもいって、ある程度ちゃんと仕事もしていたので、鬱とかそういうものではなくなんか苦しい、なんか悶々とする

みたいな日々を送っていました。

 

それがなんなのかというのが今でもうまく言語化できていないんですが、

この延長線上に自分の幸せはないのかなと思ってしまったんだと思います。

 

正直なところ仕事では30代に入り行き詰まりを感じていました。

周りのできる人たちと自分を比べ、自分はできないと感じたり。

職場によって適正みたいなものはあるのかもしれないけれど、周りと比べて自分はできないと自分で思い込むようになっていました。

リーダーシップをとって前に出ていく人が評価をされるように感じていて、自分も同じようにリーダーシップを取れるようにならなくてはと思ったり。

公務員という環境がそうさせるのか、みんなと同じようにしなくてはと自分の気持ちを押し殺して人と接するようになっていたり。

とにかく人と自分を比べまくっていたし、周りからの評価が気になっていた。

このまま公務員として仕事を続けていても、自分らしくいられないんじゃないかなと感じていました。

 

家族を持って家族を大切にしていく。

そのために苦しくても仕事を頑張る。

本当はそれだけでいいのかもしれないけど、今の現状を変えたいという思いは変わりませんでした。

 

自分の好きなことで生きるとか、自分で人生を選ぶとかそういうものへの憧れもあったんだと思います。

時代の変化というのも、背中を押したのかもしれません。

個人にスポットライトが当たる時代に変化してきて、自分にも自分らしく生きるという可能性がまだ残されているんじゃないかなと思いました。

 

そこで、35歳になる前に一度、外の世界に飛び出してみようと決意したんです。

これも勝手な主観ですが、あと数年もしたらきっと仕事を辞めるなんていう決断も難しくなるのかなという思いもありました。

今ならもし失敗してもまだ取り返しがつくんじゃないかと。

 

だから人生で一番大きな賭けをしてみることにしたんです。

これが僕が公務員を辞めた理由です。

 

 

 

 

 

 

本気で現状を変えるには○○しかない

まあわかってると思うけど、「行動」を変えるしかないです。

 

そんで行動を変えたいと思っているけど、変わらないのは本気で思ってないからです。

 

かわらないシンプルな理由は行動できてないから。

 

なぜ行動できないのか?

 

シンプルに失敗ができない自分だからだと思う。

 

成功はしたいけど、失敗はしたくない。

 

失敗の積み重ねでしか、成功は生まれない

っていう言葉があるように失敗できない自分でいる限り成功に近づくことはありえないわけです。

 

じゃあなぜ失敗ができないのか?

これは人のことをめっちゃ自分自身が評価してるからかなと思う。

あの人はすごい、あの人はすごくない。

こんな仕事はすごい、こんな仕事はすごくない。

 

様々なところで自分の頭の中で判断をしている。

だからあんな自分にはなりたくない。

あれは失敗だって人を見て思っているから、自分に対しても失敗ができない自分になってしまう。

人からの評価を恐れて行動できなくなってしまう。

 

だから行動を変えるには失敗できる自分になるっていうことしか方法はない。

それには根本的に自分の思考、考え方を変えていくこと。

それ以外にはないのかもしれません。

 

終わり

苦しみは○○からしか生まれない。

自分への期待値が高いと苦しみが生まれる。

 

あの人をみてああなりたいとか、あんな世界があるんだからいってみたいとか。

 

今の時代特にSNSをみて色んな人の世界が見えるようになってきた。

 

月収100万稼いでいる人、毎日遊ぶように生きている人、フォロワーが多い人、仲間と楽しそうに仕事してる人

 

そんな人達を見つけるたびに自分もこうなりたい。

自分もこう生きたい。

って思うようになる。

 

…でも…そうなりたいと自分に対して期待してしまうところから苦しみは生まれる。

 

あの人みたいになるために努力をしてみる。

 

でもなかなかうまくいかない。

 

あの人みたいになりたいのに…

 

理想と現実のギャップ。

 

なりたいのになれない。

 

これが苦しみが生まれる理由。

 

だから、苦しまずに穏やかにいるには今いる世界の外側なんてみないほうが幸せなのかもしれない。

 

今いる世界の中で、今に満足しているほうが幸せなのかもしれない。

 

今自分が生きる世界で少しでも自分が届きそうな目標を見つけて小さい成功を得て、達成感を感じる人生。

そんな人生のほうが幸福感は高いのかもしれません。

 

現状に満足できることのほうが幸せなのかもしれません。

目標をもつ、高い志をもつ。

確かに素晴らしいものですが、何かを得ようとするには苦しみがつきものなのかもしれません。

 

まあ、でも人間は欲深い生き物だから仕方がない。

今の自分を大事にしつつ、耐えられる苦しみを受け入れつつ、コツコツ生きていくしかないのかもしれません。

と自分に言い聞かせています。

 

おわり。

 

 

 

なんでお金がほしいの?

お金ってみんな欲しがっている。

なんのためにいくら必要か?

って質問に答えられる人って少ない。

 

お金欲しいって言っている人に限って、お金の使いみちを聞くとほとんどの人が具体的な使いみちが出てこない。

 

出てきたとしても、旅行にいく、美味しいもの食べに行くとか本当は今でもやろうと思えばできることだ。

 

だからこの場合、お金を望む本当の理由は→

「安心したい」だと思う。

 

お金が減るのが不安、今の仕事を続けたくない、人間関係がうまくいかない、評価されるのがいや

とか恐らく本当の理由は「不安から逃げたい」ということが本質なんだと思う。

 

でも、結局不安から逃げるためにお金をほしいってなってしまうと、怖いことにも向き合えない。

 

失う怖さが常につきまとうから。

お金欲しいけど、減るのは怖い。

みんなから好かれたいけど、嫌われるのは怖い。

評価されたいけど、評価下がるの怖い。

 

怖いことがあるから現状維持をしてるんだ。

 

だから、お金を得られるチャンスにも行動ができない。

失敗ができない

何をやっても中途半端になってしまう。

 

不安からの逃げは結果ずっと不安に追いかけられることになる。

 

だからまずは向き合う。

という行動が一番最初に取るべき行動なのかも

 

と自分に対して思った話でした。

終わり

思考のくせ

笑われてもいい。

怒られてもいい。

嫌われてもいい。

自分を大事にしない人を自分が大事にする必要なんてどこにもない。

 

ただ、自分のことは自分で下げるのだけはやめよう。

前提を変えよう。

どんな自分でも自分は素晴らしい。

ただそれだけ。

自分責める

自分を責めるのにはメリットがある。

 

それは自分責めてれば行動しなくて済むから。

自分のせいにならなくていいから。

 

自分はダメなやつ、自分はどうせできないやつ。

 

ていう自分設定にしておくことによって、なにかやらなければいけない状況になったときに責任を逃れられる。率先してやらなくて済む。

そうすれば人から責められることもない。

人から怒られることもない。

嫌われることもないのだ。

 

だから自分を責めて、自分の立場を守っているんだ。

 

「自分はだめ」っていう設定にはこういうメリットがあるんだね。

 

結局は自分で自分を認めるということから逃げて、人からの承認を求めているのかもね。

究極の人任せなのかもしれない。

人に評価を委ねて、自分はダメっていうハードルを下げて、結局人に従い、人から言われたことを忠実に守る。

でも心の中はやりたくないことやってるから常にモヤモヤしてるし、満たされない気持ち。

でも自分の責任や行動するのが怖い。

 

そんな状態なのかな。

もうこれは我慢する

もしくは

主体的に責任を受け入れ行動していく

の二択しかない。

 

そして自分の心を満たしていくには行動するしかないのかな。

それで、行動できるようにするには、前提として自分のことを自分で認める以外にないのだ。

前提を自分は素晴らしいにするしかないのだ。

思い込みだとしても思い込め。

より良く生きていくために意識すること

最近は毎日悩んでいる。

今後のことを色々と考えている。

でも考えているフリをしてそんなに考えていないのかもしれない。

ただ流れる時間に身を任せて、自分が心地いいと思うように生きているだけかも。

こんな時間の使い方がずっと続いたらいいのになとも思うし、このままじゃだめだと思う自分もいる。

だめだと思う理由は、こんな何もしない毎日ではだめだと思う気持ち。

毎日生きているなら人様のために何かをして生きていかなければいけないという思い込み。

あとは人とも関わらずにただカフェに入り浸って、ネットを触っているだけなんてなんか罪悪感がある。でもカフェでネットを延々とできるのってかなり夢だったかも。

自分が求めていた生活がかなってるんだよな、きっと。

こんな生活がしたかったんだ。

だから今がだめなんじゃなくて求めていたんだよ。

だから、もし一人での生活であればこれでいいのかもしれない。

でも奥さんがいるから、このままでは良くない。

奥さんを幸せにしなくてはいけない。

ん?これも自分の思い込みなのか?

でもこのままでは確実に奥さんは怒るだろう。

なんで奥さんはわからないんだ!ではなく、わからないのが当たり前という立場にたって、奥さんの考えがどうこうっていうことではなく自分が奥さんに対してできることをやっていけばいいんじゃないかな。自分一人ではなく人と関わるんだから、関わる人の反応を気にするのではなく自分ができることを相手に与える。意識することはこれだけでいいんじゃないかな。

それでだめであれば、しょうがない。あくまでも自分の心を無理やり動かそうとせずに自分にできることをやっていくというスタンスでいよう。

自分を無理やり変えようとするのは無理だ。

我慢して相手に無理やり合わせようとするのは無理だし、自分の感覚を大事にして自分の納得感をまず第一に考えよう。

ただ自分の納得感が、満たされることのない欲から来ているものであれば、それは自分の欲と向き合うべきだ。それは満たされることがないから、どこまでいっても満たされることはない。だからただのエゴになっていないかどうかは確かめよう。

 

まずどう生きていきたいのか?

なるべく組織というものからは離れて生きていきたい。

なぜ?

組織にはどうしても競争というものが生まれ、上下関係や規律、常識のようなものが厳しくなっていくから。

それが自分にとっては窮屈で息苦しい。

だからなるべく規律やルールの緩い場所で生活がしたい。

 

毎日カフェでモクモクと仕事ができたらいいなと思う。

収入は40万ほしい

午前中に集中して仕事を終わらせたい。

通勤せずにリモートでパソコンで仕事がしたい

クライアントワークでもいいけど、除々に仕組み化できるように働いていきたい。

朝は7時までは寝たい。

朝はゆっくりコーヒーを飲みたい。

7時間は寝たい。

少しでも人に喜びを与えられるようになりたい。

森と鳥の声を感じながら生活したい。

 

うん実際にはこれだけだ。

これさえ叶えられればそれでいい。

これを満たせるようにしていこう。